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【Q&A/考察】エルフェンリートは全員不幸を生きた至高の鬱アニメ【岡本先生のインタビュー備忘録】

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ルーシー照れるhermioni.com

超お久しぶりです、アニメをこよなく愛するゆとりです。

エルフェンリート再燃し、まとめたかったので作りました。

 

何故また今更エルフェンリートか?というと

昔飼っていた猫が日に日に弱っていく夢を見たからです。

夢の中でなぜ弱っていくんだろう?と涙が止まらなくなっているとき、

頭のどこからかLILIUM(オープニングテーマ)が流れてきたので、エルフェンリートの記事を書くことを決めました。

この原作は漫画で、どちらも本当に素晴らしいのですが、特にアニメ版はこのLILIUMがベースとなるOPやオルゴールが神がかっています。

中毒性があるんですよ。○にたくなるような

 

アニメは五周ほど見ているのですが、私なんかよりずっと優れた解説者さんは沢山いらっしゃるので、自分の気持ちを添えて備忘録として残してみます。

色々思い詰め込んで考察とQ&Aも作っていくので、違うこと言ってたらご意見や感想も良ければどうぞ。

  

 

エルフェンリートとは

エルフェンリートとは、週刊ヤングジャンプ(集英社刊)に連載された岡本倫のSF漫画。(全12巻)及び、それを原作としたテレビアニメである。「表紙詐欺漫画」「ハートフルボッコアニメ」の代表格としてよく名が挙がる。

転載:https://dic.nicovideo.jp/a/%E3%82%A8%E3%83%AB%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%B3%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%88

・ハートフルボッコアニメです。

・監督の神戸守さんは次のように述べています。

「一人の人間の中でこれらのことは複雑に絡みあっている。平凡であることへの劣等感。他人との違いによる劣等感。同じ境遇の者への親近感。そして、救い。この作品は表面的にはお色気、ラブコメ、バイオレンスだが、本質は差別と救いであろう。社会問題にもなっている苛め、つまり差別はこの作品の中に詰まっている。誰しも救いは求めている。」

 

・「エルフェンリート」とは、ドイツ語で「妖精の歌」といいます。

ちなみに漫画版もありそっちの方も感動ものですが、

アニメと漫画ではまるで作風が違いますので注意。

ストーリーも微妙に違いますし、キャラクターの立ち位置も微妙に違うと思っています。

なのでここではアニメのみにフォーカスを当てたいです。

漫画はまた今度じっくり読み返してレビューします。(重すぎて無理かも…)

 

エルフェンリートの個人的に好きな萌えシーン

あえて死語を使いましたが、印象的なところなら、第1話=ルーシー大虐殺、第3話=ナナの手足が切られる、第7話=犬が殺されて人じゃないのはお前らの方だあああ!のとこ、

だとは思うのですが、一方で私がとっても好きな萌えシーンは

にゅうがルーシーに戻って熱を出しているシーンです。

 

ルーシーに意識が戻っている時、コータに休むよう言われて寝ているのですが、

ユカに「にゅうちゃんまたエッチなことしちゃだめよ」と言われて

ルーシーが照れるシーンがあります。

 ルーシー照れるhermioni.com

ここ大好きです、愛おしすぎます。「もう一人の私なんてことを…」という、

この恥じらいを熱でごまかしているところが素敵です。

 

個人的に最も感動したシーン

最終話でルーシーへの台詞は凄い。本当に涙が枯れるほど心を動かされました。

 

ルーシー「コータはこの地獄の中で私の前に不意に現れた束の間の夢だ。

お前と出会ったあの日々だけが私の・・・ずっとずっとコータに謝りたかった。

私はただそれだけのためにずっと耐えて生き延びてきた。」

コータ「赦せない。でもまた君が人を傷つけたらまたずっといつまでも後悔するか

ら。子どもの時の寂しそうな女の子も、にゅうも俺は大好きだから。」

 

ルーシー「悲しい思いをたくさんさせてしまって、ごめんなさい。」

コータ「君だって、君だってさ、たくさん悲しい思い、してきたんじゃないのか。」 

ここで全てが赦されたような、生きてきたことが報われたような、

ルーシーの昇天した気持ちが垣間見えます。

ここで私は泣きます。竜巻旋風脚!!! 

ちなみに…原画には、あのむらかみてるあきさんがいます。

 

「この地獄の中で私の前に不意に現れた束の間の夢」

個人的に、昔、一緒に遊んだ女の子との思い出を振りかえる時があって、

それを思い出す度、この言葉がしっくり来ます。

そう、私も今は地獄なんですよ←

 

とにかく、コータの一言でルーシーは赦されたんです。

えぐいほど泣きましたわ。

 

OPは手の指の位置に注目すべし (キリスト)

「手の指を開き、中指と薬指だけを閉じなさい。罪が犯される時。困難に出会った時。絶望の淵に立たされた時。その手を、痛み続ける胸に当てなさい 」イグナティウス・デ・ロヨラ「心霊修養」

これはイエズス会創始者の一人「イグナティウス・デ・ロヨラ」という方の書かれた書物にある言葉です。

ルーシーのOPでも、最終話のコータに抱かれる場面でも、ルーシーは手の指を開き中指と薬指を閉じています。

そう、このような指の位置まで綿密に制作陣は意図して書いているのです。

キリスト教の美意識を入念に取り入れられているのです。

神聖な絵だからこそ、見ていて卑猥さを感じないでしょう。

ルネサンス絵画を見ていて、えっろ~とか思わないでしょう?

 

(裸ばっかのただの破廉恥アニメと思ったら大間違いです)

 

グスタフ・クリムトとエルフェンリートの関わりに注目すべし

 黄金様式と呼ばれる当時ヨーロッパで流行したジャポニズムで、日本の琳派の影響を受けているといわれている、グスタフ・クリムト。

例えばこれは有名な作品の「接吻」。

女は恍惚の表情をしており、男の顔を伺うことはできない。

二人の服には違う模様がついている。

四角と丸、感情の不一致、不安定さを表しているらしい。

女の足元は崖。女が落ちないように身体を支えている。

 

このようにクリムトは官能的な作品でありながら死の香りを漂わせる作品が得意でだったとか。

 

エルフェンリートLILIUMのOPでも表現されている通り、ディクロニウスが常に死と隣り合わせから、こういったアニメオリジナルの描写は流石としか言いようがありません。

 

ちなみにLILIUMは海外でしょっちゅう歌われています。

www.youtube.com

 

エルフェンリートの魅力「タイトルの拘り」

エルフェンリートの各話タイトルはとにかく端的です。

まあちょいちょい別アニメでもありますが、それだけでイメージはつくようになっています。

 

第一話のタイトルは邂逅(かいこう)と読みます。「思いがけず出会う」という意味ですね。

第二話 掃討(VERNICHTUNG) 「敵を除き去る」ことです。

第三話 胸裡(きょうり) 「心の中」という意味です。

 

このようにタイトルで振り返れるのはうれしいところです。

 

Q.時計が動きだす、オルゴールが止まるシーン

最終話、壊れていた時計が動き出すシーンがあります。

壊れて動かなかったけれど、最終話になって動き出したのは何故か…?

 

最終話で何が起きたかというと、ルーシーとコータとの確執が解けたこと、

ルーシーが決戦に出て行方不明になったこと、ナナが返ってきて不変的な日常に戻ったことなどがありますが、あの尋ね人が来た時は二回目のそうめんの日だということが伺えます。

つまりルーシーが行方不明になってからしばらく経っている。

それなのになぜか急に古時計が動き出す。

少なくとも、何かが始まったことを表していますね。

いったい何なのか…。

更に言うと、どこからか流れていたオルゴールがピタッと最後のエンドロール後、ピタッと止みます。

何かが終わって、何かが始まることを示唆しています。

 

オルゴールが止まったのは分かります。

コータとルーシーの出会いのキッカケがオルゴールですから、

コータとルーシーの確執や、悲しみの物語が終えたことを意味しているのでしょう。

カナエやユカが、購入時に暗い感じがするからやめなよと言っていたように、

どこかもの悲しげで哀愁がある。

つまりあのオルゴールは二人を繋ぐ架け橋ではあるものの、

一般的には負のイメージ、負の遺産として捉えるべきと考えてます。

よって止まったのはルーシーとコータとの悲しみの物語が途絶えたと考えて間違いないです。

 

オルゴールが止まり、古時計が動き始めたのを踏まえて私が推測するに、

 

ルーシーの物語が終わり、新しい物語が始まる

 

これしか無いでしょう!これであってくれ

 

Q. 最終話で来た訪問者は誰?

問題は新たにきた訪問者が誰なのかってことです。

シルエットからするとやや内股なので、

女性ということが示唆できます。

そして角が無いためディクロニウスではない、

もしくは角が折れて無くなった者のどちらか。

 

1.ルーシー

2.にゅう

3.DNAに呼ばれたルーシー

4.第三者

 

今回の最終話の状況を鑑みても選択肢4はありえないでしょう。

(2期orOVAで1からアニオリをやるというのならまた話は別ですが…)

 

例えば、もし来訪者が「にゅう」だとしたら、動き出した時計を鑑みると、新しい物語になるの?って思いませんか?

だって今までだってにゅうと一緒に暮らしていたじゃあないですか。

ということはにゅうも無いのかな?と思います。

 

ただ、このアニメの本質はキリスト教の「罪と罰」です。

ということは犯した罪を赦す救いが必要なわけです。

ただ、ルーシーはその犯した大量殺人の罪が命を代償にしないといけないほど大きいのです。

万引きレベルではないわけですよ。

ということはルーシーがそのままヘへッて帰ってきたとしたら、

コータはどう思うのでしょうか?(私は赦すけども)

 

であれば、最後のカットは漫画の最終巻と同様、コータのリアクションで終えた方がよかったのでは?と考えたりもします。

でもそこは演出の方の深い深い意味があるはず。

とりあえず、制作陣の方にいつか、いつかお話を伺いたいものです。

 

なので、ルーシー、にゅうとも違う別人、「楓」が人間として来た?なんて予想をしてみます。

 

エルフェンリートの小ネタ1:買い物袋

2話で、買い物に行ってくるねとユカが買いにいった場所、

それは買い物袋に書かれていたロゴで分かりました。

ずばり「SHOP66」今は亡きSHOP99のパロディですね。

 

エルフェンリートの小ネタ2:貝殻の名前

カナエがコータに渡した形見の貝殻は筋が入ったピンクの二枚貝。

タカラガイ博士の私からすると、生息地的にあれは多分アカガイ

しかしコータの手に持っているシーンではサトウガイとかサルボオっぽい

結論わからん。

 

第2話でその後、家の前でにゅうがピンクの二枚貝を持って待っていました。

ちなみに由比ヶ浜でのピンクといったらサクラガイが有名なんですが、

にゅうの持っていたのは角ばっていて、ウノアシガイのような独特な形ですね。

なんだろう…。トマヤガイ?

 

エルフェンリートの小ネタ3:登場人物にフルネームが無い

ちなみに登場人物にはフルネームがありません。

理由は原作の岡本倫先生がフルネームに意味を持たないと考えたため。

確かAKIRAでもアキラ、タカシ、マサルなどフルネームが無く、その影響を受けたのだとか。

 

個人的には、深みを味わいたいのでスターウォーズみたいにキャラクター一人ひとりエピソードを添えて長くしてほしいところ。笑

 

エルフェンリートの小ネタ4:坂東の嗜好品

坂東さんが吸っているタバコはラッキーストライク。

 

エルフェンリートの小ネタ5:ユカに似たキャラクター

ユカはボンバーマンジェッターズのシャウトさんに似ている…らしい

 

Q. ディクロニウス研究所はどこにある?

メイン舞台は鎌倉ですが、この作品は背景細部まで密な設定がなされています。

ということはルーシーやナナ、マリコ、3番がいた研究所も元ネタがあるはずでは…と考えました。

 

基本情報として研究所は離島にある、それのみです。

ルーシーが対戦車ライフルで撃たれ海に落ち、流れ着いたのが由比ガ浜でしたから、

その近くにある島を探してみました。



すると、菜島という三浦半島にある離島を発見しました。

しかしここは「灯台」と「鳥居」しかなく、人は住めるような環境ではありませんでした…。

あと場所的にも、流されるとしたら森戸海岸じゃね?ってなりました。(最寄り駅は逗子・葉山駅(旧新逗子駅))

なので、赤丸付近に人工島を作ったのだろうと勝手に予想します。

 

Q. 何故コータはスクールデイズ誠のような扱いを受けないのか?

何気に思っていたことですが、

コータはユカが好きで、夫婦のような生活を共にし、

ユカのパンチラを覗き、寒いからと言ってハグをしています。

 

そしてにゅうもといルーシーには触るだけ触って、脱がして、見て、キスシーンもあります。

 

マユやナナにはこれといったことはアニメでは無かったと思いますが、

これだけハーレムで囲まれた暮らしをして、優しさ故に容易く数多の女の子を巻き込んでいながら全く叩かれる気配がない。

 

スクールデイズの誠はどれだけ羨むことでしょう。

 

と疑問に思ってましたが、コータはコータなりの優しさがあるためでしょう。

 

第一に妹を殺されて、可哀想な女の子を助けてあげたい。

女の子を守ってあげたいという意識が強いようです。(お父さんもやられたのに!)

 

第二に相手の気持ちを理解してあげる能力がずば抜けて高いです。

説教しながらですが、その優しさは今でいう鬼滅の刃の炭治郎に近いものを感じます。

 

エルフェンリートの批判に対する批判 

ここで、私の中では1,2を争う神アニメなのですが、

投票サイトなどを見ると好きなアニメが銀魂とかヒロアカとかなんでやねん!てなったので、

様々なサイトの批評を見ていて、あまりにこのアニメが好きすぎるので、批判的な文に対して批判しておこうと思います。

第6話がリアリティに欠ける

エルフェンリートの第6話で本来人が取らなければならない行動をとっていない=リアリティ性が無いというご指摘がありました。

 

確かにエルフェンリートの世界では保護するやさしさと、非情なことが起こります。

このギャップが本アニメの魅力でもあります。

 

リアリティが無いなんて言い出したら、どのアニメにもほとんどリアリティが欠ける部分なんて存在する上、整合性を取るための辻褄合わせなんていくらでも作れます。

何が言いたいかというと、矛盾点を指摘してドヤりたいだけにしか私には聞こえない。

 

第一リアリティが無いのは第1話から海に居た全裸の少女を家に連れて帰る時点でおかしいです。しかもそれを提案したのが一番まともなユカだったので尚更です。

 

リアリティなんて言い出したらディクロニウスが生まれること自体おかしいです。

隔離して殺してしまうこと自体おかしいです。日本政府が極秘で活動していること自体おかしいです。

もう設定すら否定してしまうことだと思います。

よって、そんな批判は、言うな。 以上あざした。

 

 

岡本倫先生のエルフェンリートインタビュー備忘録

自分への備忘録として、岡本倫先生の貴重なインタビューがあったので、メモしておきました。

以下インタビュー抜粋。

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(エルフェンリートの誕生秘話)

・エルフェンリートを思いついたきっかけは人間と猿の間の原人や猿人がいない。

 自分に似た生物というものを嫌悪して滅ぼしたのではないか?

 もし人間の中に新人類が生まれたら、滅ぼされてしまうのではないか?ということを考えて書いた。

 

・始めはラブひなのようなラブコメディにしようとしていた。

⇒ 大きな枠組みで巨大な闇の組織のような殺人鬼が日常ではラブコメディをするのが良いと考えたが、始めにスプラッターを書きすぎたために編集に通らず、スプラッターを少し加えた

 

・どういう風にすればキャラクターが面白くなるのかを考えて作った。

 力の象徴として暴力を行使する、ルーシーを作った。

 

・一番好きなキャラはナナ。動かしやすいキャラだった。

 

・差別は良くない、失くしていかなくてはならない。しかし無意識のうちに人は人を差別している。

 それは人のプリミティブなところであって、それは後からの教育で変わるが、規制の力で差別の力をなくすことが必要。

 漫画の中では差別のキャラクターを感じさせない人を主人公にしている

 

(鎌倉を舞台にした理由)

 ・もともと鎌倉のある神奈川に住んでいて鎌倉になじみがあった、

東京から近いので取材をしたいときにすぐに生きやすい近い場所だから鎌倉を選んだ。

 

(漫画家に転身した理由)

・もともと小学生のころから漫画家を目指していた。

 高校生くらいでTVゲームが好きだからゲームメーカーのバンダイに入社したが、

 バンダイではプロデュースしかなく、実際は下請けがやる。

 そのうちに実際に作る企画書、漫画、ゲームなどをする方が向いていると感じた。

 

(エルフェンリートがドイツ語の理由)

ドイツ語の響きがかっこいいと思っていたので作品のタイトルや名詞に使っている。

エルフェンリートが終わった後に

 

ちなみに、ノノノノの制作後、岡本倫先生は友人に「お前のファンはエルフェンリートのような漫画を望んでいる」といわれ、

エルフェンリート同様、力のある女の子たちを描いた「極黒のブリュンヒルデ」が作られた

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これを聞いて、私だけですかね、

本当に良い意味で、少しだけ冷めることができました。

入り込みすぎて心を奪われる習性があるような方は、

このような裏話を聞いて中の世界から追い出してもらえた方が、

客観的にもなれて精神的には良いのかもしれません。

  

終わりに

少しでもエルフェンリートの魅力が伝われば幸いです。

最後に、1クール綺麗な形で終えておりましたが、

どうか二期を制作してくださいお願いいたします。

 

次回は、昔数回行った鎌倉の聖地巡礼をお届けしようと思います。