皆さんはペットは飼っていますか?
ちゃんと大切になさっておられますか?
そのペットは家族ですか?
愛していますか?
私は小さい頃、実家で猫を3匹飼っていました。
親猫の「タマ♀」、子猫の「サスケ♂」と「リリー♀」の3匹です。
サスケは、真っ黒でお腹が白いオス猫だったのですが、
私が小学生の頃に外へ出て行ったきり帰ってこなくなりました。
必死に探しましたが見当たらず・・・
調べると、♂だと家出をすることはよくあることだそう。
今回は、私の家で飼っていた親猫、「タマ」の話をしたいと思います。
見初め
初めてタマに出会ったのは、私が幼稚園児の頃でした。
タマは野良猫で、母親が仕事から車で帰ってきたとき、ついてきたと言うのです。
家まで来たので、エサを与えたところ、それから数日間家に来るようになりました。
柄はアメリカンショートヘアに似たシルバークラシックタビーと言われる渦巻き模様で、成猫でしたが
体は少しやせ細っており、可哀想なので餌を与え続けていました。
それから母親が人懐っこいタマを気に入り、実家で飼うことを決めました。
タマは本当に大人びたネコで、文句を一切言わないような、人に例えると美人系なイメージの美猫でした。
じっとして、エサが欲しいとき以外は滅多に鳴かず、好奇心はあれど大人しい態度を一切崩さない、
ただ野良出身のため一日中家には居たくないのか、しょっちゅう外へ出ていっては、近所の人たちに挨拶をしに行く。
近所でも有名な美猫として名を轟かせていました。
(実家はド田舎なのでご近所了承のもと外に出していました。)
たまに外泊もしていましたが、いつも数日すれば必ず帰ってくる。
ちょっとリスキーだけど、本当に立派な愛猫でした。
タマとの思い出
タマが来てからというもの、タマとの思い出は本当に数えきれないほど出来ました。
私も小学生の頃は好奇心旺盛で、タマが外に出かけたらどこへ行くのか追跡する「探偵ごっこ」をしてみたり、
タマを部屋に連れていきたいから無理やり引っ張ったら思いっきり顔をぶたれて泣きべそかいたり。
布団で一緒に寝たいがためにそっと布団を広げ、タマが気になって入ってきたところを包みこんで寝てみたり。
とにかく、タマとほぼ毎日遊んでいました。
また、ある時はタマが二階の段ボールでごそごそしているから何かと見たらなんと子猫を生んでいたり(後のサスケです)。
中学生以降は、本当に家族の一員としてタマの大好きなカニカマを一緒に食べていたり。
自然に部屋に入ってくるようになって、私の枕に乗って頭のすぐ横で寝るようになっていました。
朝になると6時くらいで餌くれーと、ニャーニャー顔を引っ掻いてくるので一緒に起きてはエサをあげ、その後二度寝していました(笑)
”タマに手でツンツンされて無理やり起こされたわ…でも可愛いなあ(*´ω`*)”
2014年1月1日にこんなツイートもしていましたね。
ある時にはタマが他所の猫とケンカし、アゴ下の皮膚がぱっくり開いて帰ってきたこともありました。
すぐさま病院へ行き、縫合手術を行い難を逃れましたが、一時はどうなるかと。。。
大学進学のため実家を離れるときは、タマに泣きながら手紙も書きました。
手紙を仏壇において、私は一人暮らしの始まり。
しばらくタマには会えませんでしたが、半年に一度くらいの割合で帰省してタマに会いに行っていました。
そして、気が付けばタマに会うために帰っていることに気付きました。
実家の事を考えると、自然とタマが頭に浮かんできていたのです。
具合の悪化
そして大学4年の冬。タマの具合が悪いことを知ります。
これまでも具合の悪い症状はいくつもありましたが、なんとか乗り越えてきたタマちゃん。
母親が病院に連れていったところ、慢性の腎不全が進んでいる状態で、年配ということもあり(推定20歳以上)、
もう長くないと言われてしまいました。。
ろくに治療するお金も無かったウチは、しぶしぶ自宅療養という形で家で安静にさせていました。
(後で知りますが、慢性腎不全の猫は、痙攣やら嘔吐などでとても苦しむため延命治療をしない選択が多いそうです。)
そんな中、私が就職前の最後の帰省したとき。
12月の29日でした。
しかし、その頃にはタマはもうぐったり状態。
いつもは椅子の上で寝るのに、椅子の上に飛び乗ることもしんどそうでした。
降りる時なんて本当に痛そうで、可哀想で、とにかくそっと、そっとさせていました。
吐いてしまう量も増え、歩いては休み、歩いては休みを繰り返していました。
心配はしつつも、猫は死期を悟った時は自分の姿を見せないと聞いていたので、
まだ私たちに懐いてくれることから、まだ元気なんだと信じていました。
1月の2日、1年以上実家に帰ってこなかった兄貴が偶然帰ってきました。
兄は既に結婚していたため、その日も3日目の朝、つまり一日で帰ると話していました。
タマとのお別れ
そして、忘れもしない1月3日の朝。
タマの状態が一気に悪化。
母親が大声で叫び、台所にいるタマのもとへ急いで家族全員集まりました。
タマは既に危篤状態。
何もすることができない我が家は、家族全員で泣きながらさすって見続けることしか出来ませんでした。
そして数分後、最期に伸びを起こし、家族全員で看取りました。
(呼吸が出来ないために伸びをするそうです。)
推定年齢20歳でした。
1月3日のツイート
家の猫が死んだ。20歳でした。しばらく立ち直れないだろうけど、笑顔でお別れ。今まで本当にありがとう
兄含め、家族全員が揃って、タマを見送れたことが、せめてもの救いだったのかもしれません。
もしくは、タマは全員が集まるまでは絶対に死なないと頑張っていてくれたのかもしれません。
私は、一日中泣いていました。
本当に一日中。
タマが亡くなったことを知らないリリーは、タマが眠った後も体をなめ続けていました。
思い出
あれから数年の月日が経ち、タマの居ない実家は静まり返っています。
社会人になった今でも、実家の事を考えると一瞬タマが待っていてくれるという気持ちが頭をよぎってしまいます。
それだけ、当たり前の情景だったんです。
時間と共に、周囲はどんどん変わっていきます。
みんな歳をとっていきます。
でも、思い出だけは一生変わりません。
今でもタマは、私の夢に出てきます。
タマが起こしに来てくれる夢。
タマが母親を呼んでいる夢。
家に帰ったらタマが出迎えてくれる夢。
もう、数えきれないくらい夢に出てきます。
そして起きた時、毎回泣いてしまいます。
本当は戻ってきてほしい。
また、元気な姿を見せてほしい。
また、家族を笑顔にしてほしい。
何年も経った今でも、ふと実家のどこかで寝ているんじゃないかと思ってしまうときがあります。
タマが若く元気だったころは家が裕福だったこともあって、毎日楽しく、あの頃が一番幸せだったのかもしれません。
もしかしたら、タマが幸運の招き猫だったのかもしれません。
タマ、今まで本当にありがとう。
まとめ
実はこの記事を書いている中でも、何日も間を挟んで見直して自分で10回ほど泣いてしまいました。
出来ることなら、時間が巻き戻ってほしいです。
タマにまた会いたい。
タマの生きていた時が永遠に続いてほしいです。
・・・こんな風にいつまでも後ろ向きで居ることが、私の悪いところなんですかね。。。
ペットを飼っていらっしゃる皆さんは、どうか最期まで大切にしてあげてくださいね。
最後までお読みいただいて、ありがとうございました。