報われない努力などない。だが断る。ハーマイお兄です。
突然ですが、私は将棋が好きです。
どれくらい好きかと言うと、独学でアマチュア弐段を取得した程好きです。
ちなみに、アマチュア参段から将棋教室の指導員になれます。
私は大変飽き性で、大体のゲームや勉強は続かないのですが、
「好きこそものの上手なれ」とは良く言ったもので、昔から将棋が好きだったお蔭でここまで来れたのかなと思っています。
今回は、私が弐段となるまでの紆余曲折だらけの思い出を振り返ってみたいと思います。
※将棋を知らない人でも楽しめます
ちなみにどうやって勉強したとか、どうやって一段一段上がってきたとかそういう話ではないので悪しからず。
小さな頃から‐将棋がアイデンティティだった‐
私は小さな頃、地元のコミュニティセンターに通う元気な子供だったわけですが、そこで無料で開かれる将棋教室によく通っていました。
(親も安心価格でとても喜んでいました。親御様オススメ)
確か小学五年生の時、5手詰めの問題を制限時間内で解き、先生とも対局した末、当時そこで指導をされていた先生より「将棋検定4級」という棋力判定を賜りました。
(参考までに、芸人の小藪千豊さんは初め5級の称号を頂いているそうです。)
私は当時習っていた習字がボロクソで、周りの生徒が参段とか四段とかエグい称号がついていく中で、私だけ「6級」とかいう訳の分からない検定結果を持っておりまして、それが大変不満でした。
そんな時に先生から頂けた将棋の「4級」という謎の名刺サイズの用紙にとても誇りを持ち、お財布に入れてずっと保管していました。
(名刺サイズの用紙はいつの間にか消失しました。)
クラスでも将棋は流行っていましたが、私は1位か2位の実力を持った人物として称えられ、自分でもそれが嬉しくて、始めは将棋の事ばかり考えていました。
そう、将棋は私の一つのアイデンティティだったのです。
時の流れいつでも駆け抜けていくから
しかし、子供とはやはり心変わりの早いもので、いつの間にかその熱意は「任天堂64 大乱闘スマッシュブラザーズ」へ移動。
キャプテン・ファルコンのコンボ技を極めるのに必死になっていました。 母親はキレてゲーム1日1時間令を制定。
それを破ってゲームを隠されては、私がちゃっかり見つけ出して何食わぬ顔でやっている、といったイタチごっこを繰り返すようになっていました。
今考えると、母親とはよく揉めて色々素直じゃなかったなあと後悔ばかりしてしまいます。余談
それから2年。中学生の私は将棋ブームなどとっくに過ぎ去り、私はニコニコ動画とPS2の古いゲームをやり続ける繰り返しとなっていました。
それから3年。大学生となった私は周りがスマートフォンに切り替えていく中、私だけ謎のガラケー信念を貫いて生活していました。
が、メールでのやり取りも段々面倒になってきまして、ようやくスマートフォンに変更をしました。
そのスマートフォンは、携帯代理販売店に騙されて購入した、最新機種から二つ下くらいのスペックのスマートフォンでした。
その時、客入りの少ないバイト先で暇つぶし出来ることはないかと考えて入れたのが、日本将棋連盟公認アプリ「将棋ウォーズ」でした。
当時は他に面白いアプリがあっても、携帯代理販売店で騙されて買ったスマートフォンのスペックがしょぼすぎて、本当に何のゲームも出来なかったんですよね…。
でも、将棋ウォーズはそんな低スペにも優しかった。
そして極め付けは、将棋ウォーズでは「10秒将棋」というルールで対局することもできます。
私は時間を掛けるのが苦手で、数十手先なんか考えずに自分の経験に基いた感覚だけで指す習性があります。
相手が一手を指すまでの「待つ」という行為も嫌だったので、将棋ウォーズにある「10秒将棋」というシステムは本当に嬉しく思いました。
お客さんが来たら負け確定なのがちょっと腹立ちましたけど、笑
そこから、少しずつ、将棋に熱意を取り戻し始めます。
優しさだけ忘れずに抱きしめていよう
そして、時は流れ社会人に。
と同時にいきなり関西転勤。
来たこともない初めての土地で、友達なんか出来ませんでした。
1年経っても行う業務が次々と変わってうまくいかず、やる気をなくして休みがちになっていました。
そんな時、人の温かみを感じたくて、人と面と向かって対局が出来る、将棋教室へ行ったんです。
そこは、昭和の雰囲気漂うとても古い教室だったのですが、そこにいたおじいさん達にはとても良くしてもらえました。
私はそこで初めて、大阪の人は優しいんだなと気付けました。
その、将棋を通じて出来た私の居場所。
温かみに触れたことで教室は憩いの場と変わり、私は気兼ねなく通いに行くことが出来ました。
そして、先生より、弐段という棋力判定を頂きました。
まとめ
人生って、どこに転ぶのか本当に分かりませんね。
小さい頃やっていたことが、何かのきっかけとなって大きな影響を与える。バタフライエフェクトですね。
私は将棋をやっていなかったら、今頃大阪に馴染めないまま、良い思い出の無いまま関東に戻っていたと思います。
こうして棋力を頂いて自分に自信を持てましたし、これからも将棋を続けようというモチベーションにも繋がりました。
皆さんも絵や小説、やり貫いたゲームなど過去の実績のあるモノコトがあると思います。
久々に試してみると、その感性は今でも生き続けているかもしれませんよ。
私の記事が皆さんの何かきっかけに繋がれば幸いです。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。